「婦人公論 2007年7/22号」ソ・ドヨンインタビュー記事掲載
婦人公論 2007年7/22号

定価:550円
発売:2007/7/7
発行:中央公論新社
----------------------------------------------------
P152~155 ソ・ドヨンインタビュー記事 4ページ掲載
「春のワルツ」貴公子の素顔
ソ・ドヨン 俳優
つらく長い兵役での時間が、僕を俳優にした
一日の訓練を終えて、夜、一人になると、
これからどう生きていくべきか、
毎日のように考えていました。
そして自分とじっくり向き合ううちに、
「役者として生きていきたい」という思いが
はっきり形になってきたのです


韓流ブームを巻き起こした「冬のソナタ」を始め、「秋の童話」「夏の香り」と続く「四季シリーズ」の最終章にあたるのが、現在、日本でも放映中の「春のワルツ」である。秘めた過去を持つ天才ピアニストのチェハと、幼なじみの女性・ウニョンの切ないラブストーリーだ。
チェハ役を演じるソ・ドヨンさんは俳優としてはまだ駆け出しで、異例の主演抜擢となった。このドラマのために、ドイツ語、ピアノ、ワルツを短期間で猛特訓したという。
異例の抜擢と
プレッシャーの間で
日本に来るのは、これで6回目です。初めてのときは、「きっと韓国とはずいぶん違うだろうな」と思っていたけれど、来てみたら韓国と似ているのでビックリしました。言葉こそ違いますが、感性も、すごく近いなと思いました。
日本のドラマや映画も大好きですよ。オフの日は、家でドラマや映画をよく観ます。最近強く印象に残っているのは、オダギリショーさん主演の映画「ゆれる」や岩井俊二監督の「花とアリス」。テレビドラマの「白い巨塔」は、韓国でもリメイクされたので、日本版と韓国版を見比べたりしました。
韓国の「春のワルツ」のファンと、日本のファンが知り合って、友人になることもあると聞いています。これからもそんなふうに両国で、いろいろなものを共有していければいいなと思います。
「冬のソナタ」で日本でもよく知られているユン・ソクホ監督から、「一緒に仕事をしよう」と声をかけていただいたのは、2005年の秋。僕が出演したテレビドラマを見て、興味を持ってくださったようです。
監督がその頃、「春のワルツ」の準備をしている最中だということは知っていましたので、どんな役でもやらせていただきたいと、ドキドキしながら正式なお話を待っていました。そうしたらなんと新人の僕を、主役のチェハ役に抜擢してくださったのです。
撮影に入るまでの短い期間に、チェハの生き方について、深く考えました。チェハとウニョンは幼なじみなのですが、身体の弱いウニョンの手術費にと貯めていたお金を、チェハの父が持ち逃げしてしまうのです。
責任を感じたチェハは、その後、病気に倒れたウニョンの手術代を作るため、オーストリアで、あるお金持ちの夫婦が亡くした子どもの身代わりとして生きていく決心をします。幼少時に受けた心の傷を抱えながら、違う人間として、生きていかなくてはいけない。そのアイデンティティの混乱を、どう捉え、どう表現するか。
本当はとても心が温かくてやさしいのに、他人に対して心を閉ざしてしまい、冷静で冷たい人に見えてしまうのが、チェハのキャラクター。デリケートな演技が要求される、難しい役です。
しかも僕にとっては、初めての大役。自分の演技に対してまだ自信がもてないので、正直、不安もあったし、主役としてドラマ全体を引っ張っていけるだろうかというプレッシャーもありました。
夢が砕けるかも……
撮影中のアクシデント
撮影に入って間もない頃は、自分ではそれなりにできたつもりでも、映像を見てみると演技がなっていない。悩んでいたら、監督から、「まなざしに真実を込めろ」と言われました。
いったい、どういう意味なのか。真剣に考えて演技をしていくうちに、いつの間にかチェハになりきっていた。そんなふうにして、自然に乗り越えていった気がします。
実は撮影中に、頬骨を折るという、大きなアクシデントがあったんです。殴られるシーンでの出来事でした。医者からは、即刻、撮影を中断すべきだと言われました。
ようやく“俳優になる”という夢が叶いかけたのに、砕けてしまうかもしれない。これで自分の人生が、終わってしまうのではないか……。怪我をした直後は、そんな恐怖を感じていたし、落ち込みました。でも僕は“視聴者との約束はぜったい守る”と、心の中で誓っていた。その一心で、感情をコントロールしていた気がします。
とりあえず緊急手術をして、撮影を続行することを決意。手術前に、「カフェ」と呼ばれるインターネット上のファンのコミュニティに、「この状況を乗り越えて、より成長した姿で、皆さんの前に現れることを約束します」とメッセージを送りました。心境は複雑でしたが、最後まで無事ドラマの撮影ができることを、信じていました。
偶然にも手術当日は、誕生日でした。これはきっと神様が、もっと新しい何かを与えてくださるために用意なさったことに違いない。だから、僕は神の愛を、そして、視聴者の方たちの愛を信じようと思いました。
結局、ドラマは1回放映を見送っただけで、その後は順調に撮り進めることができたのです。
自分の力で
道を切り開いていきたい
僕自身は、屈折のない少年時代をすごしてきました。そういう意味では、チェハの人生とはかなり違いますね。でも多少は「耐える」経験をしてきたし、それが今、俳優をしていくうえで、生きていると思います。
韓国には徴兵制があり、男子は必ず軍隊に入隊しなくてはいけません。僕も2年2ヶ月の軍隊経験があります。入隊したのは20歳のとき。仕事のキャリアをスタートしてからだと、どこで区切りをつけるべきなのか葛藤が大きくなると思い、なるべく若いうちに国民としての義務を果たしておこうと考えたのです。
入隊すると、それまでとは180度違う生活を余儀なくされました。肉体的にもハードですが、それよりも、まったく自由がないことのほうがつらかったですね。好きな音楽も聴けないし、映画も観にいけない。あぁ、友達と漢江の河原でビールを飲みたい、とか、そういう日常的な“ささやかな自由”を、とても懐かしく思った2年2ヶ月でした。
20代初めといえば、遊びたい盛りです。その時期に2年あまり軍隊に入るというのは、つらいことだし、すごく長く感じました。でも後から考えると、勉強にもなった。一番大きな成果は、入隊前に比べて、人生に対する姿勢が積極的になったことでしょうか。
韓国の男性の多くは、軍隊にいる時期に、「社会に戻ったら、自分はなにをしたいのか」を真剣に考えます。つまり、人生の準備をする時期でもあるわけです。
僕も一日の訓練を終えて、夜、一人になると、これからどう生きていくべきか、毎日のように考えていました。そして自分とじっくり向き合ううちに、「役者として生きていきたい」という思いが、はっきり形になってきたのです。
子どもの頃から、漠然とですが、モデルか役者の仕事をやってみたいなと思っていました。だからといって、そのためになにか勉強をするとか、具体的な努力をしていたわけではありません。でも待っているだけでは、何も始まらない。除隊したら、自分の力で道を切り開いていこう……そう思いながら、日々過ごしていました。
軍隊という制限の多い集団にいると、それまで気づかなかったさまざまなことに対して、「ありがたい」と思えるようになります。何かをやりたくてもやれない時期があるからこそ、自由の価値もわかるし、「自分が本当にやりたいことに大してもっと積極的にならなくては」という気持ちが育つんですね。
除隊後はアルバイトでお金を貯めて、まずモデルスクールに入りました。スクールにいるとき、どうしてもソウルコレクション(アジアを代表するコレクションのひとつ)に出たかったので、自分で直接7,8名のデザイナーを訪ね、「ぜひ僕を使ってください」とお願いしたんですよ。そのチャレンジ精神が実を結んで、念願かなってコレクションの舞台に立つことができました。
現役大学生の
目下の悩みは
その一方で、役者の道を目指して、演技の勉強もしていました。だから決して、“運がいい”だけではなく(笑)、自分なりに準備をしてきたつもりです。
CM出演をきっかけに、ドラマにも出るようになって……モデルは一瞬のうちに感情を表現するけれど、役者は持続的に「人間」を表現しなくてはいけない。どちらも魅力的な仕事ですが、「演じること」は楽しいし、自分に向いていると思いました。
「春のワルツ」で有名になったおかげで、町で声をかけられることも増えました。でも、今は彼女がいないので、顔を知られたことによる不便さはあまり感じていません(笑)
僕は女性の外見ではなく、その人ならではの魅力があれば好きになるんですけど……どんなタイプって……う~ん、すごく表現しにくいなぁ(笑)。一目ぼれって、あまりないんですよ。その人の魅力に、だんだんハマッていく、という感じかな。
今27歳ですが、できたら早く結婚したいですね。親の影響もあるのかもしれませんが、子どもの頃から、“幸せな家庭を作りたい”と思っていたんですよ。でもいったい何が“幸せな家庭”なのか、難しいですよね。長い人生の間には、大変な時期もあるだろうし、いつも家族が平穏とは限りませんから。
今回このドラマを通して、ただ楽しいだけではなく、もっと大きな喜びを得ることができました。というのも、作品を観た方から、「ドラマを通して生きていく希望を取り戻した」という声がたくさん届いたのです。俳優という職業にプライドを持つようになったし、もっと多くの方に感動を届けられる俳優になりたいと、志を新たにしました。
軍隊に行く前は、親の希望もあって、ある大学の生物学科に通っていました。でも仕事をしていくうちに、本当に自分のやりたい勉強をしたいという思いが大きくなり、今年の春から大学の演劇・映画学科に通っています。
大学では、演出や制作について勉強をするつもりです。俳優の立場ではなく、演出の側に立って演技を考えたらどうなるのだろう、という観点からです。勉強によっては、もしかしたら将来、演出のほうに興味が移るかもしれませんね。
学校にはちゃんと通っていますよ。クラスメイトたちとも、一緒に飲んだり、仲良くしています。でも今回、来日とテストの時期が重なってしまって。帰国したら、徹夜をして山のようにレポートを提出しなくてはいけません(笑)。
プロフィール省略

定価:550円
発売:2007/7/7
発行:中央公論新社
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P152~155 ソ・ドヨンインタビュー記事 4ページ掲載
「春のワルツ」貴公子の素顔
ソ・ドヨン 俳優
つらく長い兵役での時間が、僕を俳優にした
一日の訓練を終えて、夜、一人になると、
これからどう生きていくべきか、
毎日のように考えていました。
そして自分とじっくり向き合ううちに、
「役者として生きていきたい」という思いが
はっきり形になってきたのです


韓流ブームを巻き起こした「冬のソナタ」を始め、「秋の童話」「夏の香り」と続く「四季シリーズ」の最終章にあたるのが、現在、日本でも放映中の「春のワルツ」である。秘めた過去を持つ天才ピアニストのチェハと、幼なじみの女性・ウニョンの切ないラブストーリーだ。
チェハ役を演じるソ・ドヨンさんは俳優としてはまだ駆け出しで、異例の主演抜擢となった。このドラマのために、ドイツ語、ピアノ、ワルツを短期間で猛特訓したという。
異例の抜擢と
プレッシャーの間で
日本に来るのは、これで6回目です。初めてのときは、「きっと韓国とはずいぶん違うだろうな」と思っていたけれど、来てみたら韓国と似ているのでビックリしました。言葉こそ違いますが、感性も、すごく近いなと思いました。
日本のドラマや映画も大好きですよ。オフの日は、家でドラマや映画をよく観ます。最近強く印象に残っているのは、オダギリショーさん主演の映画「ゆれる」や岩井俊二監督の「花とアリス」。テレビドラマの「白い巨塔」は、韓国でもリメイクされたので、日本版と韓国版を見比べたりしました。
韓国の「春のワルツ」のファンと、日本のファンが知り合って、友人になることもあると聞いています。これからもそんなふうに両国で、いろいろなものを共有していければいいなと思います。
「冬のソナタ」で日本でもよく知られているユン・ソクホ監督から、「一緒に仕事をしよう」と声をかけていただいたのは、2005年の秋。僕が出演したテレビドラマを見て、興味を持ってくださったようです。
監督がその頃、「春のワルツ」の準備をしている最中だということは知っていましたので、どんな役でもやらせていただきたいと、ドキドキしながら正式なお話を待っていました。そうしたらなんと新人の僕を、主役のチェハ役に抜擢してくださったのです。
撮影に入るまでの短い期間に、チェハの生き方について、深く考えました。チェハとウニョンは幼なじみなのですが、身体の弱いウニョンの手術費にと貯めていたお金を、チェハの父が持ち逃げしてしまうのです。
責任を感じたチェハは、その後、病気に倒れたウニョンの手術代を作るため、オーストリアで、あるお金持ちの夫婦が亡くした子どもの身代わりとして生きていく決心をします。幼少時に受けた心の傷を抱えながら、違う人間として、生きていかなくてはいけない。そのアイデンティティの混乱を、どう捉え、どう表現するか。
本当はとても心が温かくてやさしいのに、他人に対して心を閉ざしてしまい、冷静で冷たい人に見えてしまうのが、チェハのキャラクター。デリケートな演技が要求される、難しい役です。
しかも僕にとっては、初めての大役。自分の演技に対してまだ自信がもてないので、正直、不安もあったし、主役としてドラマ全体を引っ張っていけるだろうかというプレッシャーもありました。
夢が砕けるかも……
撮影中のアクシデント
撮影に入って間もない頃は、自分ではそれなりにできたつもりでも、映像を見てみると演技がなっていない。悩んでいたら、監督から、「まなざしに真実を込めろ」と言われました。
いったい、どういう意味なのか。真剣に考えて演技をしていくうちに、いつの間にかチェハになりきっていた。そんなふうにして、自然に乗り越えていった気がします。
実は撮影中に、頬骨を折るという、大きなアクシデントがあったんです。殴られるシーンでの出来事でした。医者からは、即刻、撮影を中断すべきだと言われました。
ようやく“俳優になる”という夢が叶いかけたのに、砕けてしまうかもしれない。これで自分の人生が、終わってしまうのではないか……。怪我をした直後は、そんな恐怖を感じていたし、落ち込みました。でも僕は“視聴者との約束はぜったい守る”と、心の中で誓っていた。その一心で、感情をコントロールしていた気がします。
とりあえず緊急手術をして、撮影を続行することを決意。手術前に、「カフェ」と呼ばれるインターネット上のファンのコミュニティに、「この状況を乗り越えて、より成長した姿で、皆さんの前に現れることを約束します」とメッセージを送りました。心境は複雑でしたが、最後まで無事ドラマの撮影ができることを、信じていました。
偶然にも手術当日は、誕生日でした。これはきっと神様が、もっと新しい何かを与えてくださるために用意なさったことに違いない。だから、僕は神の愛を、そして、視聴者の方たちの愛を信じようと思いました。
結局、ドラマは1回放映を見送っただけで、その後は順調に撮り進めることができたのです。
自分の力で
道を切り開いていきたい
僕自身は、屈折のない少年時代をすごしてきました。そういう意味では、チェハの人生とはかなり違いますね。でも多少は「耐える」経験をしてきたし、それが今、俳優をしていくうえで、生きていると思います。
韓国には徴兵制があり、男子は必ず軍隊に入隊しなくてはいけません。僕も2年2ヶ月の軍隊経験があります。入隊したのは20歳のとき。仕事のキャリアをスタートしてからだと、どこで区切りをつけるべきなのか葛藤が大きくなると思い、なるべく若いうちに国民としての義務を果たしておこうと考えたのです。
入隊すると、それまでとは180度違う生活を余儀なくされました。肉体的にもハードですが、それよりも、まったく自由がないことのほうがつらかったですね。好きな音楽も聴けないし、映画も観にいけない。あぁ、友達と漢江の河原でビールを飲みたい、とか、そういう日常的な“ささやかな自由”を、とても懐かしく思った2年2ヶ月でした。
20代初めといえば、遊びたい盛りです。その時期に2年あまり軍隊に入るというのは、つらいことだし、すごく長く感じました。でも後から考えると、勉強にもなった。一番大きな成果は、入隊前に比べて、人生に対する姿勢が積極的になったことでしょうか。
韓国の男性の多くは、軍隊にいる時期に、「社会に戻ったら、自分はなにをしたいのか」を真剣に考えます。つまり、人生の準備をする時期でもあるわけです。
僕も一日の訓練を終えて、夜、一人になると、これからどう生きていくべきか、毎日のように考えていました。そして自分とじっくり向き合ううちに、「役者として生きていきたい」という思いが、はっきり形になってきたのです。
子どもの頃から、漠然とですが、モデルか役者の仕事をやってみたいなと思っていました。だからといって、そのためになにか勉強をするとか、具体的な努力をしていたわけではありません。でも待っているだけでは、何も始まらない。除隊したら、自分の力で道を切り開いていこう……そう思いながら、日々過ごしていました。
軍隊という制限の多い集団にいると、それまで気づかなかったさまざまなことに対して、「ありがたい」と思えるようになります。何かをやりたくてもやれない時期があるからこそ、自由の価値もわかるし、「自分が本当にやりたいことに大してもっと積極的にならなくては」という気持ちが育つんですね。
除隊後はアルバイトでお金を貯めて、まずモデルスクールに入りました。スクールにいるとき、どうしてもソウルコレクション(アジアを代表するコレクションのひとつ)に出たかったので、自分で直接7,8名のデザイナーを訪ね、「ぜひ僕を使ってください」とお願いしたんですよ。そのチャレンジ精神が実を結んで、念願かなってコレクションの舞台に立つことができました。
現役大学生の
目下の悩みは
その一方で、役者の道を目指して、演技の勉強もしていました。だから決して、“運がいい”だけではなく(笑)、自分なりに準備をしてきたつもりです。
CM出演をきっかけに、ドラマにも出るようになって……モデルは一瞬のうちに感情を表現するけれど、役者は持続的に「人間」を表現しなくてはいけない。どちらも魅力的な仕事ですが、「演じること」は楽しいし、自分に向いていると思いました。
「春のワルツ」で有名になったおかげで、町で声をかけられることも増えました。でも、今は彼女がいないので、顔を知られたことによる不便さはあまり感じていません(笑)
僕は女性の外見ではなく、その人ならではの魅力があれば好きになるんですけど……どんなタイプって……う~ん、すごく表現しにくいなぁ(笑)。一目ぼれって、あまりないんですよ。その人の魅力に、だんだんハマッていく、という感じかな。
今27歳ですが、できたら早く結婚したいですね。親の影響もあるのかもしれませんが、子どもの頃から、“幸せな家庭を作りたい”と思っていたんですよ。でもいったい何が“幸せな家庭”なのか、難しいですよね。長い人生の間には、大変な時期もあるだろうし、いつも家族が平穏とは限りませんから。
今回このドラマを通して、ただ楽しいだけではなく、もっと大きな喜びを得ることができました。というのも、作品を観た方から、「ドラマを通して生きていく希望を取り戻した」という声がたくさん届いたのです。俳優という職業にプライドを持つようになったし、もっと多くの方に感動を届けられる俳優になりたいと、志を新たにしました。
軍隊に行く前は、親の希望もあって、ある大学の生物学科に通っていました。でも仕事をしていくうちに、本当に自分のやりたい勉強をしたいという思いが大きくなり、今年の春から大学の演劇・映画学科に通っています。
大学では、演出や制作について勉強をするつもりです。俳優の立場ではなく、演出の側に立って演技を考えたらどうなるのだろう、という観点からです。勉強によっては、もしかしたら将来、演出のほうに興味が移るかもしれませんね。
学校にはちゃんと通っていますよ。クラスメイトたちとも、一緒に飲んだり、仲良くしています。でも今回、来日とテストの時期が重なってしまって。帰国したら、徹夜をして山のようにレポートを提出しなくてはいけません(笑)。
プロフィール省略
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コメント
一般誌
この雑誌を購入したとき・・・
次は「アエラ」だ!と思ったことを覚えています。
この頃に出ていた次回作のオファーって、
絶対に「止め婚」ではなかったはずだと思うのですが、
いったいどんなドラマだったのかなぁって知りたくなりました。
ユン・ジェハを彷彿とさせるような恋愛ドラマだったら
きっと演技もさらに深みを増した、素敵なドラマになっていただろうにって
いえいえ「止め婚」も、あれはあれでとっても良かったんですけどね
この頃に出ていた次回作のオファーって、
絶対に「止め婚」ではなかったはずだと思うのですが、
いったいどんなドラマだったのかなぁって知りたくなりました。
ユン・ジェハを彷彿とさせるような恋愛ドラマだったら
きっと演技もさらに深みを増した、素敵なドラマになっていただろうにって

いえいえ「止め婚」も、あれはあれでとっても良かったんですけどね

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やっぱりこの雑誌が出た頃は、まだ雑誌購入を控えていた頃でした。一般誌に載るのって、やっぱすごい事なので後で中古を手に入れました。
韓国や日本でヒット作が出て、ファッション誌とかなんかからインタビューのオファーとかあるといいですヨねえ。